娘を産むまで①

娘の妊娠期間中について

以前の投稿で、娘の妊娠までについて書きましたが、今回は妊娠・出産について書きたいと思います。

これを最後の一回にしようと思った自然妊娠のチャンスで遂に妊娠できたわけですが、生理が遅れている時点で体調の違和感もあり、「これはいけたかも。」という思いがありました。

生理予定日1週間後、妊娠検査薬でのチェックで陽性が出た時は「やっぱりきた!」という感じで、もちろん嬉しい気持ちはありましたが、思い描いていたほどの喜びというわけではなかったです。たぶん、妊活の疲れもあったんでしょう。「やっとか、、、」という思いも大きかったです。

そして、夫に陽性を知らせた時も想像と違って笑、結構「あー、よかった!」ぐらいの薄いリアクションで期待外れでした。まあ、妊娠した当の本人がそれほど喜んでいたというわけではなかったので、当然なのかもしれませんが、やっぱり夫にはもっと跳び上がって喜ぶぐらいのリアクションをして欲しかったなとがっかりしてしまいました。笑

確かもうその検査薬を使用したぐらいの時から、うっすら気持ち悪い状態でした。

早速病院に行きましたが、初回は5週3日ぐらいでまだ胎嚢しか見えず、2週間後に心拍が確認できました。

日に日につわりは増していきました。

この時忘れられないもう一つのことがあります。私の実家の猫のクロが、末期の癌でもう先が長くないという状態でした。年明けぐらいから調子が悪くなり、病院でがんと診断を受けましたが、もう延命治療はせずに自然に任せる選択をしていました。私が拾ってきた猫でしたが、結婚してからもそのまま実家でお世話してもらっていました。実家の父も母も同じ年に息子と娘が結婚して家を出たので、まるでもう一人の息子のように猫を可愛がっていました。私にとっても弟のような存在で頻繁に実家に会いに帰っていました。本当に大好きでした。がんと診断されてどんなに泣いたかわかりません。何度もどうか私を身代わりにしてくれと祈りました。この時本当にメンタルもやられていて、ギリギリの状態でした。コロナ禍で在宅勤務ができる時期だったので、在宅勤務の日は必ず実家で勤務し、少しでもたくさんの時間をクロと一緒に過ごしました。

そして、この3月末の時期はちょうど私たち夫婦の家が建ち、アパートを引き払う時期でした。詳しい事情を忘れてしまったのですが、何か理由があって、アパートを引き払ってから実家に4月初めぐらいまで住まわせてもらうことになりました。

引っ越し作業のときもまだ親には妊娠していることを報告しておらず、結構しんどかったのですが何とか隠して、心拍確認ができた3月末にようやく打ち明けました。両家の両親がすごく喜んでくれたのが一番嬉しかったです。

妊娠を打ち明けてからは気が緩んだせいもあったのか、ますますつわりがひどくなった気がしました。食べづわりだったのですが、基本的にはずっとムカムカしていて、お腹がすくとものすごい吐き気が出てくるという感じでした。あと、食べたくないものが増えてきました。私は食べることが大好きなので、基本的には食べたくないものはないのですが、そんな私がにおいや味で気持ち悪くなって食欲が全然湧きませんでした。

もう親にも隠す必要がなくなったので、堂々と気持ち悪そうにしていると、母には「何度かそんな顔してたらだめだよ。赤ちゃんに良くないよ。」、「クロは今もっと苦しんでる。つわりは病気じゃないんだから、負けてちゃだめよ。」と言われました。もちろんクロも必死に生きようとしてるから私も頑張らないと、という思いがありましたが、気持ち悪いものは気持ち悪いんです。私の気持ちが弱いのでしょうか。

母も自分のつわりの体験談をこれまで何度も私に話してくれましたが、毎朝父の弁当を作る前に気持ち悪くて作れないので、まずは全部吐いて胃を空にしてから毎朝弁当を作っていたというのを誇らしげに何回も語ってきます。私はこの時点で母のように毎日吐いてもないですし、そもそも実家に居候させてもらって、家事も全部やってもらってる時点で甘え過ぎていることは重々承知です。母もそれが気になっているからこそ、あんなことを言ってきたのでしょう。母としては「自分は気持ち悪くても実家に帰っていないし、弁当も吐きながら毎朝作っていた」ということを甘えた娘には強調せずにはいられなかったんだと思います。

母は昔から自分基準で考えることがあるので、例えば自分が耐えたことは誰しも耐えるべきもの、耐えられるものだと考えます。そこには、みんなが自分と同じレベルの困難を味わっているという考えがある気がします。この考え方を押し付けられると生きづらいなあと思います。困難のレベルの感じ方ってやっぱり人によって違うと思います。自分が耐えれたからと言ってそれが他人も耐えられるとは限らないです。

とにかく、私はこの時欲しかった共感とは真逆の母の叱咤激励により、弱音を吐くこともできず、精神的にもしんどかったです。夜も気持ち悪すぎて眠れなくなり、急に吐き気が襲ってきて寝室で戻してしまったこともありました。

クロもどんどん弱ってきてもう水も飲まなくなり、緑色の液体を吐くようになってきました。

そして、4月3日。クロは旅立ちました。

がんが発覚してから長い時間に一緒に過ごし、もう覚悟は決まっていましたが、それでもやっぱりもう会えないなんて信じられなくて、さみしくて、悲しくて涙は止まりませんでした。

私はただのつわりでこんなにやられているのに、クロはどんなに痛くて苦しくて辛かったのか、それでも私と違って何も言わず、弱さは見せずに最後まで戦った姿を見て本当に自分は情けないと思いました。

また、悲しみもありましたが、クロがもう苦しまなくて良くなったという安堵の気持ちもありました。

こういう大きな別れと大きな出会いは一つになっていると感じます。

クロと別れ、まるで生まれ変わりのように娘との出会いに繋がった気がするのです。クロがいなくなっても寂しくないように、クロが授けてくれたのではないかと思います。

これは私にとって本当に大きな出来事で、だからこそ絶対娘は無事に産めるという、謎の自信がつきました。

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